【追記あり】「二次元の女の子に自分の最期を看取られる」音声作品を作りました
★安眠?永眠?のための「自分の最期が看取られる」の音声集です
★様々なニーズに対応できるよう4つのシチュエーションをご用意しました
【こんな人にオススメ】
・自分が生きている意味を改めて実感したい!
・大切な存在を喪いかけている女の子に泣きつかれたい
・共に戦ってきたボクっ娘に敵を取ってほしい!
・ロリ吸血鬼に自らの血肉を差し出したい!
去る7月10日に、DLsiteにて「看取られ音声」をリリースしました。内容については上記のとおりです。「二次元の女の子から自分の最期を看取ってもらう」音声オムニバスとなっております。既に90本ほど売れてるらしいです。感謝の極み。
そんなわけで、せっかく色んな人に触れてもらっているので、看取られ音声についてどう思ってるか語ってみようと思って記事を書いています。
・なんでそんな音声作品を作ったのですか?
「看取られ音声」という文字列を見た人が行う最も多い反応が「草」「闇が深い」というものでした。気持ちはわかります。「ああ、ついにオタクの欲求もそんな段階に達したのか」という反応ですよね! ですが、ちょっと待ってください。我々は必ず死にます。ここから数十年の間で不老不死や記憶バックアップの技術が発展しない限り、我々は死ぬのです。その、逃れ得ない"死"を華やかに彩ることで受け入れるための音声として、僕は看取られ音声を作りました。
・自殺を推奨しているんですか?
間違いなくNoです。看取られ音声は、確かに架空の死の瞬間を切り取った音声作品です。しかし、僕は看取られ音声を「生きるため」に作りました。そのために4つの音声作品全てに「あなたの人生は間違っていなかった」というメッセージを込めています。今の社会であらゆる場所から発せられる、「お前は価値の無い社会のパーツの1つである」というメッセージに対する反抗でもあります。主観的あるいは客観的に特別な死を描くことで、生きることを肯定することこそ、僕が看取られ音声を作った一番大きな理由であると言えるでしょう。
これが、終わりじゃないよ。ここからが、あなたの新しい始まり。
あなたは、またその足で新しい道を歩いていける。
ちょっとだけ、長く眠るだけ。それだけ。ただ、それだけ。
次に目が覚めたら、絶対、暖かくて、優しい世界が待ってるよ。(Track01:お姉さんに甘々看取られ より)
・それぞれの音声のシチュエーションについて語ってください
想像力のために細かい設定については断言しないようにしているので、ちょっとだけ。
Track01:お姉さんに甘々看取られ
最初に世に出た看取られ音声。「甘々看取られ」というフレーズの圧が凄い。
安眠に使ってもらうために「死ぬことは怖くない」という刷り込みを意識しました。
虚構の死を乗り越えてまた明日、を体験してもらう、一作目にして異色の音声になっています。
Track02:見習い弟子に泣きながら看取られ
「可愛い女の子が自分のために泣いてると嬉しい」路線の一本。
サンプル時点では「ほぼ死にかけている」という状況で喋らせるのがしんどくて「次はもっと余裕のある死に方にしなければ……」という教訓を得た一本。
でもおかげで本編ではかなりいい感じの慌て感を出せたと思います。
Track03:皮肉屋なボクっ娘に看取られ
「侵略者に倒された自分を相棒のボクっ娘が看取ってくれる」という一本。
どうしても皮肉気味のボクっ娘とSFという路線がやりたくて書いた一本。一番スムーズに終わりました。
Twitterでの感想を見る感じ、刺さる人にはバッチリ刺さったらしくて、「わかってくれたか~~~!」ってなりました。
Track04:ロリ吸血鬼ご主人様に看取られ
「どんなシチュエーションがいい?」アンケートで多かった「上位者に自らを捧げる」シチュエーションを具現化した音声。
サンプルの時点では無かったシチュエーションなのでどこまで受けるのが不安でしたが、既存のドM向け音声に近いこともあってかなり好評であるように感じます。
・次はどんな音声を出すんですか?
次をやるかどうかは決まってないのですが、反応の中にちょくちょくあったのが「もっとボリュームが欲しい」という意見でした。というわけで、もし次をやるなら一時間掛けて看取られる音声を出したいですね。病室とか研究室で一ヶ月おきに行われた会話、みたいな感じでそれを4回分……みたいな? あるいはクラウドファンディングとかでお金を集めてプロの声優さんから看取られる音声を出せたら……たのしいだろうなあ……。
・さいごに
看取られ音声は現状完全に趣味でやっている状態なので、聴いてもらって僕の書いた文章が気に入ってもらえれば文章のお仕事をください。文章でなくてもいいですが、とにかく何らかの仕事を貰えると嬉しいです(無職であるため)。連絡はhimadj@gmail.comあるいはTwitter(@Lacenare_ssw)までどうぞ。それでは、また。
7/14 20:30追記
活動記録と「看取られ音声って死ねってことか!?」って言われたらやだなあ、という言い訳のために書いたような記事がめちゃくちゃに反響があってびっくりしました。ありがとうございます。おかげさまで、販売数が150を超えました(でもまだまだ赤字) 。
本日朝よりFANZA同人様の方でもDL販売開始しました。
馴染みのあるプラットフォームの方を選んで是非ともお買い上げください。
7/15 1:30追記の追記
バーチャルブロガーの浅田カズラ様からインタビューを受けました。
こちらの記事では主に企画・編集を担当していただいたパルボナ氏の視点から「看取られ音声」について語られております。
こちらも合わせてよろしくお願いします。
夢見がちで穴だらけの「VRジェンダー論」と「性別の超越」という幻想
アバター時代の恋愛、もはや自分で振る舞うつもりが一切なくても相手から女の子に見えてしまうバグを抱えてるし、なんだったらヘテロ男性がお互いを女の子と思い込みながらお付き合いすることも可能になってしまったので、LGBTというくくりで性自認や性嗜好を語るのは非常に困難になってきた感じがある
— 【2/23生放送】なもなき📗 (@Nam0naki_) 2019年2月20日
このツイートを見て「良いことを言ってくれた!」と思うような人(そんな人がこんなタイトルの記事を開くか?まあ反論のために開くかもね)が居たら、すぐさまこのページを閉じることをおすすめする。
VR元年と呼ばれた2018年から年が明け、アニメになったりCDが出たりイベントがあったりと、VR市場の話はどんどん拡大していくけれども、それらを用いた「バーチャル社会」の話は全く前に進まない。どころか、どんどん後退しているように感じる。
冒頭に貼ったツイートはその代表例みたいなもので、僕はVRCプレイヤーであった且つVtuberをやろうと目論んでる者であるので、フォロワーも当然その手の層の人が多く、こんな夢見がちなツイートが無尽蔵に流れてくるのである。
こんな記事一本書いたところで、夢見がちな言説を流す人とそれらを賛同と共感のスーパーRTをする人たちが即座に立ち振舞を変えるとは思わないけど、「これ以上酷い方に踏み込んで欲しくない」という意味で、色々書いていく。
予め言っておくが、僕は決してバーチャル世界でのコミュニケーションや関係性……そして恋愛なんかを否定するつもりは無い。そして、よくある「現実を見ろ」論に与するつもりも、断じて無い。むしろ、どんどんバーチャル技術が発展してVRオンラインゲームで遊べる世界が来たらいいな~~~~と思っている。アレに憧れないオタクはなかなかいないはず。だからこそ、だ。だからこそ、「バーチャル社会」がどうなっていくべきか――言い換えれば、「バーチャル世界を成立させる人間が、どのような価値観を共有していくか」に関しては、地に足の着いた議論をしていかなければいけないと思っている。そのためには、このような「理想論と現状認識がごっちゃになった意見」はむしろちゃんと批判していくべきだとも。
「アバター時代の恋愛、もはや自分で振る舞うつもりが一切なくても相手から女の子に見えてしまうバグを抱えてるし、なんだったらヘテロ男性がお互いを女の子と思い込みながらお付き合いすることも可能になってしまったので、LGBTというくくりで性自認や性嗜好を語るのは非常に困難になってきた感じがある」
さて、まず一番クリティカルな揚げ足取りからいくと「LGBTは性的少数者の権利運動ための連帯」であり、あらゆる性自認や性嗜好を括るための言葉ではありません。その認識なしLGBTという言葉を持ち込んで「非常に困難になった」とはおかしな話です。
「LGBT」を汎用的な性的少数者を指す言葉と解釈して「アバター時代の恋愛はお互いを女の子と思いつつ好きあってるので性的少数者の括りでは語れない」と解釈しましょう。こう書き下すと「それって本当にそうか?」となりませんか。「女性の表象を纏って、お互いに相手の女性の表象を好いてる状態」は「レズビアン」あるいは「トランス」の括りからそう外れたものなのでしょうか?僕は全く異ならないと思います。
という風に、ちょっと頭を捻っただけでここまで反論がゴロゴロ出てきます。いや、別に新しい技術で頭の中がハッピーになった人が「こんなに新しい地点まで来てるんだぜ俺たちは!」と言い合うなら良いんですけど、この人「バーチャル時代の恋愛事情について生放送」とかやるタイプの人なんですよね。こんなそれっぽいワードを引っ張ってきた組んだような話が「代表的な意見」とされる世界って何?という気持ちがずっとあります。
[ 【生放送告知】2/23(土) 22:00~
]
バーチャル時代の「恋愛」は物理性別を、時空を、超越するのか? 実際にバーチャルで恋人がいる方をゲストに招き、徹底的に語り尽くします!(≧∇≦)/
【生放送】V恋 - バーチャル時代の恋愛関係!?【ねむxなもⅢ】 https://t.co/tDK1hPYxR6 pic.twitter.com/waZpfpLye2
リプライで「学術的な放送になります」って言われてるけど、絶対ならねえだろ!?!?って思ってます。
これは私見なんですが、現時点で「バーチャル世界での何か」について語ろうとする人は「あらゆる人がアバターを着てバーチャル世界に適合していくべき」という視点で語る人が多すぎるんですよね。そして現状でVRに触れられる人は当然高額のVRゴーグルと高性能のパソコンを持って入ってくるほどの熱意と理想のある人だから、そのポジショントークを「そうあるべき」という気持ちで肯定してしまう。本当にいびつな「茶番」の世界だなと思ってます。
[ Vtuberパンツチャレンジ観測状況。
]
思った以上に広まる→リテラシーが低い層にまで流れる→有識者が気を揉むの流れ。
特に「Vの器=魂自身」と思っている人からの拒否感が強い。
必要とされたいけど意思が弱いVが流れにのり、登録者稼ぎに過激化(自分を安売り)するのは望ましくないと。
これはVtuberパンツチャレンジという宣伝活動が流行った時に、Vtuber界隈の有名なフリーライターさんが発したツイートですが、このツイートが象徴するように、VR界隈では「魂の器」や「本質」みたいな論が素朴に信仰されています。僕は、こういう風潮を見る度に「けっ、くだらねえ」という気持ちになります。本当に「VRアバターが魂の器」であるなら僕は醜い、腐ったゾンビのような姿で呪詛を撒き散らさなければいけないことになります。なります、という言い方は変ですが、なると僕は思っています。そんな「内面を暴き出す」ような世界であるなら、生きられない人間の方が多いとまで思っています。だからこれも、「茶番」であるのです。VR界隈は、まさに「茶番」と「信仰」の世界であるのです。「可愛い・かっこいいアバターで他人と関係したい」という、醜くてエゴイスティックな欲望を皆で共有する社会です。
「魂の器」や「本質」に続いてVR論に出てくると言っても過言ではないワードが(上の生放送の紹介にも出てくる)「性別の超越」です。僕はこのワードこそまさにエゴイスティックさの象徴だなと思っています。これに関しては、昔はてなで起きた議論の時に書かれたエントリを紹介・引用しようと思います。
“かわいいい女の子になりたい”くらいで、安易に“性別を超越した”なんていうもんじゃないよ。 - 想像力はベッドルームと路上から http://d.hatena.ne.jp/inumash/20130304/p1
同化の対象が、男性が理想とする“かわいい”“女の子”である以上、それはある種の規範として抑圧性を発揮する。オタク男性が従来の男性ジェンダーから脱落しかけているからといって、その抑圧性が消えるわけでもない。男性が付与する“かわいい”という属性の抑圧性に無自覚でいるのならばなおさらだ。“ジェンダー規範から解放された男性オタク”という前提は、対象を気持よく消費するための“理想化された自己イメージ”に過ぎない。
こういった話を“俺(たち)の欲望語り”としてある種のネタ的に消費しているだけならまだ笑って流せるが、それが自分たちの欲望を肯定するための道具として、あるいは選民思想的な言説とセットで出てくるのであればさすがに笑えない。
“オタクは性別を超越した”というのは単なる幻想であって、実際には性別など超えられてはいないし、ジェンダーからの解放もされていない。性的欲望を脱臭した程度でジェンダー規範から解放されたなんて思うことそのものが間違いだ。最低限の分別として、妄想と現実の区別はつけるべきである。
バッサリですね。まんまこれと同じことが繰り返されると思いますし、もっと言えばVRゴーグルによって「手応え」を得ることができるようになったせいでより悪化してるとも言えると思います。「現実の自分の肉体・環境に不満があって、それをなくしたい」というだけの話を「新しい技術を用いた性別の超越」と言い切るのは、大変傲慢なことだなあというのが感想です。
結局「魂の器」も「アバターは本質」も「性別の超越」もそうなんですけど、「現実の肉体は嫌だな~~~~」って話を格好良く言い換えただけで何も言い示してないんですよ。「このゲームでは誰もが勇者になれる」というキャッチコピーのゲームを遊んで「俺は勇者になった」という人がいたらどうしますか?アホですよね。身内間でアホになって楽しむのは自由ですが、その視点でそのまま「VRにおけるジェンダーや倫理観の展望」を語り始めるのはドン・キホーテと同じぐらい滑稽な行いです。
何度も言うように僕は個人が欲望を達成する手段の是非を問うてるのではありません。この記事を書いた後も、僕は美少女ドラゴンガールの表象で「愚かな人間のみんな~~~~ドラゴン系Vtuberの四部こまだぞ~~~~」って言うと思います(宣伝)。しかし、それは僕の本質でも魂でもありません。「男のVtuberって言うほど人気ねえし可愛い女の子でやりたいよね」という打算であり、欲望であり、願いであります。「世界がこうあって欲しい」という願いを叶えたいのなら、「いや~そうなってるのについてこない人は遅れてるよね」と意識を高くしたり「魂の器なんだからセクハラしちゃダメだよ!」と建前の上から語るのではなく、「我々はこのようにアバター・アバター社会を定義し、このような権利を求める」と展望を打ち出し、連帯して人々に問うて行くことが必要だと、僕は思っています。
自分の中でもしっかりまとまってるわけでない話を読んでいただいてありがとうございました。反論や感想は(@Lacenaire_ssw)までお願いします。